彼女は私よりもちょっと年上で、二人の娘がいる。一人は大病院の現役看護師で彼女の力強い味方だ。もう一人は嫁いでいて孫もいる。家で療養する事が決まった時に、看護師は看病のために長期の休暇を取り、もう一人は子供とともに母の家に一次的に住まいを移した。気持ちがとっても若々しい母と娘たちは、まるで3姉妹のようだった。しかし、母の身体は病に蝕まれており、およそ考えられる手術に化学療法に放射線治療をすべて受けたにもかかわらず、すでに身体はぼろぼろの状態であった。放射線治療で髪もほとんど抜け落ちており、元々どんな容姿の方であったかは知る由もなかった。
今までの経過や検査結果、CT写真などを見る限り、医学的には生きている事が不思議なくらいの状態で退院されたのだ。「頑張ってきたのにアウトかと思うといらいらする」という母に、娘たちはたえず話しかけ、時には冗談をいいながら、全力でしかも楽しく看病をした。家に帰って9日目の早朝、娘たちに見守られて彼女は息を引き取った。
ご自宅で患者様が亡くなられた場合、多くは当クリニックの看護師がうかがい、身体をきれいに拭いたり、服を着せたり、顔に薄く紅をさしたりといったことをさせていただいている。しかし、この度は娘たちがその役を引き受けてくれた。私は、パンパンになっていたお腹から腹水を2リットル抜いた。娘たちは母の思い出話に花を咲かせながら、悩みに悩んで服を選び、手際よくそれを着せていった。「あー、ブラするの、忘れてた!」と言いながら母の旅支度をする娘たちは、何だかそれを楽しんでいるかのようにも見受けられた。こんな場面では私も初めて経験するラメ入りの化粧をして、口紅をさし、最後に慣れない手つきでなんとかヘアピースを装着し終わった時はもう既に夜明け前だった。それにしても、ほんのわずかな時間で、彼女が病人から普通のきれいな人になってしまったのには驚いた。
普段、在宅の看取りでは、患者様が病気と闘いながら徐々にその体が弱っていくのを目のあたりにすることが多い。特に、以前から我々をかかりつけにしてくださっている方の場合には、とりわけその感が強く、元気な時を知っているだけに胸が痛む。しかし、病院からの紹介で、突然在宅の主治医となった場合、その時にはすでに病気が進行しており、なかなか元気な時の姿は想像しにくいものだ。ところが、この度は二人の娘さんのおかげで、病気になる前の元気な彼女に会うことが出来た。時の流れをちょうどビデオテープを早回しで巻き戻すように、彼女は驚くほど若々しくキラキラとした輝きを取り戻していった。それはラメのせいではなく、娘たちのあふれるような愛情の力によるものだったのではないかと想像している。
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