Mさんは大工だった。点滴をさすとき、小柄な体に似合わない、腕の筋肉のもりあがりが印象的だった。Mさんは大病院で治療を続けていたが、万策がつき、『もう、見放されたように感じる』と、ある夏の暑い日に当クリニックを初診された。体は、癌に蝕まれていたが、彼は『一ヵ月後に、ある目的で遠方に行くので、それまでの間、家でみてほしい』と依頼されたのだ。しかし、病気は容赦なく進行し、彼は出かけることをあきらめ、彼の息子たちが、予定の日に、彼の代わりに出かけた。ある日、急に病状は悪化し、しゃべることも困難となり、意識ももうろうとした状態となった。
そんなある日、訪問に伺った私が、彼の名を呼ぶと、混濁する意識の中で、目を開き、にっこりと私に微笑んでくれたのだ。それは、まるで、なくした大切な探しものを偶然に発見した時のような、幼馴染に再会した時のような、おだやかで、ほんとに心からうれしい時の笑顔だと、私には思えた。医者冥利に尽きるとはこんな一瞬のことだろうと感じた。いったい何回往診訪問に行っただろう。20回にも満たないと思う。わずか50日間の付き合いだったのに、もう何年も前からの知り合いのように錯覚してしまった。
Mさん、もうあなたには、意識もなく、聞こえてもいなかったと思うけれど、苦しそうなあなたの表情を見るに見かね、あなたの奥様に向かって息子さんが、「母さん『もう後のことは心配せんでもええから、大丈夫だから、もう逝ってもええで』と言ってやれ」といったのですよ。そうしたらね、奥様は、あなたの手を握り締めながら、「思ってもいないことは言えない」と答えたのです。逝ってほしくなかったのです。あなたにずっと生きていてほしかったのです。あなたが居ないと心配だったのです。夫婦がどんなに強い絆で、愛情で、結ばれていたのか良く分かりましたよ。親父を何とかしてやりたい、苦痛から救ってやりたいと、私に訴えた心優しいすばらしい息子さんたちや、あなたの生き写しのようなお孫さんたちに囲まれてあなたは旅立ちました。
すてきな笑顔、ありがとうございました。私の心の財産です。次の在宅医療の糧にします。こんな経験や感動を積み重ねて、どなたにも、ご自宅で最期を安心して迎えられるお手伝いができるようになれば、と思っています。ありがとうございました、さようならMさん。
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