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〜おさむクリニック新聞から〜
  
14.SUMMER
(おさむクリニック新聞2008年7・8月合併号より)

 さて、今年も暑い夏になりそうだが、暑い夏といえば、とんでもなく暑い夏の日に逝ってしまった彼のことを思い出す。
 彼には肺の病気があった。だから「200メートルも歩くとしんどい」といつも言いながら、「畑に野菜の種をまいた」「田んぼの準備とかゴマを植えたり今が忙しい」「しんどくても仕事をしている時はいい」といった話をうれしそうにしてくれていた。痩せていた彼は「脂気がないので寒がりです」と冬が苦手で、自らのことを『骨皮どうつうさん』と皮肉交じりに形容していた。我々は、親しみを込めて彼を『どうつうさん』と呼んだ。
 どうつうさんに、肺の病気に加えて体の別の部分に癌が見つかったのは5年前の事だ。進行の遅い癌で、近くの病院で定期的な抗がん剤治療を受けていた。しばらくの間、癌はおとなしくしているように見えたが、しかし徐々に彼の体を蝕み、あちこちの骨にも転移した。春になっても、大好きな畑にも行く事が少なくなり、食欲も落ちて痩せ形のどうつうさんは更に一回り小さくなってしまった。梅雨の頃に入院して抗がん剤治療を受けたものの副作用で気分が悪くなり、結局輸血をしてちょっぴり顔色が良くなって退院した。
 夏本番になりかけた7月のある日、体調が急に悪くなって救急車で近くの病院に入院したとの連絡があった。毎日点滴をして、おしっこの管も入っているという。入院して暫くたった頃、病院に様子を見に行ってみた。なんと彼は、点滴を拒否しているという。まあそこまでなら納得できないわけでもないのだが、体温測定まで断っているというのを聞いた時にはあきれてしまった。どうも、病気や入院生活のストレスから妄想や幻覚が出ていたようだった。
 退院後、当クリニックからの訪問診療・訪問看護が始まった。体温測定はもちろんの事、点滴にも積極的で、訪問看護の予定日は、「今か今かと首を長くして待っていた」と笑顔で看護師を迎えてくれた。私は、訪問診療の後、毎回握手で彼と別れた。
 愛する家族に囲まれ、住み慣れた家ですごすということが、彼にこころの安定をもたらしたのだろう。残念ながら、彼の病は誰の目にも明らかなくらいのスピードで悪化し始めており、食欲もめっきり落ちてしまっていた。それでも、家族が彼の希望に迅速に対応してくれたおかげで、スイカ、桃、パイナップル、メロンと好きな果物を口にしたり、穴子寿司をひとかじりしたりしていた。
 家族は、皆それぞれ仕事を持っていたが、昼休に帰ったり、休みの都合をつけたりして、全員で力をあわせて順番におじいちゃんの介護をした。近くに住む娘さんも、家族だけでは手薄な日中を連日カバーしてくれた。足元もふらふらなのに、彼はオシメもポータブルトイレも拒絶してトイレに行きたがった。娘さんに頼んで無理やりトイレまでつれて行ってもらっていたらしいが、私から見れば命がけ、娘さんは命が縮む思いだったに違いないと想像する。息子さんは、父のために負担の少ない酸素マスク固定法を発明してくれた。
 チーム医療という言葉があるが、皆の思いが一つになって、家族によるチーム介護がみごとに行われていた。我々医療側と家族を全部まとめて一つのチームだったような気がする。だから、今でもご家族に会うと何だか戦友のように感じてしまう。
 盆が明けて暫くして、彼は皆に見守られながら旅立った。その場に居合わせた全員が涙した。私が撮影した何枚かの写真が、お孫さんの手できれいに飾られていたが、そこには『SUMMER HIROSAN』と書かれていた。お孫さんたちは彼を『ひろさん』と呼んでいたのだ。それにしてもひろさん、あんたは幸せもんだ。家族みんなから愛され、皆があなたのために頑張り、皆が死を悲しんだ。きっと生前のあなたは、皆を分け隔てなく愛し、皆から尊敬される存在だったに違いない。さようならひろさん。


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